似鳥昭雄氏の名前を聞いてピンとこない方はいるかもしれませんが、「株式会社ニトリ」と言われれば、あれか!と思う方が多いのではないでしょうか。
株式会社ニトリは35期連続で増収増益してきた優良企業です。2021年には700店舗を達成し、海外進出も積極的に行っています。
また、似鳥昭雄氏と言えば日本の大手企業の代表としては珍しく自身が発達障害(ADHD)であるという事を公表しているということでも知られています。
今回は「お、ねだん以上。」のCMのメロディーでお馴染みの「ニトリ」創業者である似鳥昭雄氏のプロフィールや生い立ち、経歴についてご紹介します。
似鳥昭雄のプロフィール
名前 | 似鳥 昭雄 |
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生年月日 | 1944年3月5日 |
出身地 | 北海道(樺太) |
居住地 | - |
最終学歴 | 北海学園大学 経済学部 |
職業 | 株式会社ニトリホールディングス 会長 |
趣味 | ゴルフ・旅行 |
株式会社ニトリホールディングスの社長として一代で大企業に育て上げたあと、2016年に社長の役職を次代に譲り、現在は同社の会長として活躍しています。
48歳の時に始めた趣味のゴルフは本当に大好きなのだそうで、夫婦でコースを回ることも多いのだとか。
似鳥昭雄の生い立ち
株式会社ニトリホールディングスの会長である似鳥昭雄氏の生い立ちについて紹介します。
勉強が苦手だった子供時代
1944年の3月に樺太で生まれた似鳥昭雄氏は、終戦後の1947年、3歳の時に母の出身地であった札幌に帰国しました。学生時代は勉強が苦手で、小学6年生になるまで自分の名字を漢字で書けなかったとインタビューでも語っています。
大学を卒業する頃は不況で就職先がなく、父の会社に就職しました。しかし、父の会社での仕事は肉体労働が合わず退職。別の企業に就職しても軽い対人恐怖症が原因でノルマが達成できずにおよそ半年でクビになってしまいます。
「人がやらないことをやる」ニトリ創業
ニトリ創設のきっかけになったのは、苦手なことが多かった昭雄氏に対して彼の父である義雄氏が言った、勉強の苦手な自分が生きていくために「人の倍努力するか、人がやらないことをやるか」という言葉を思い出したことでした。人の倍努力するのは難しかったので、「人がやらないこと」をやろうと思い立ったのです。
「人がやらないことをやる」と決めた昭雄氏が目を付けたのが、当時自宅の周辺になかった「家具屋を始める」ということでした。これが「似鳥家具店」(現在のニトリ)の創業のはじまりです。
店舗運営は苦境に立たされる場面もありましたが、接客などが苦手な昭雄氏の代わりに販売を担当するなど、妻の支えが大きかったということです。この経験から、「苦手なことをカバーしてくれる人がいれば上手くいく。役割分担をして協力する」ということを学んだのだそうですよ。
米国視察から「ニトリ」の方針が固まる
経営が軌道に乗ってすぐ、1972年のことです。似鳥家具店のすぐ近くに競合店が進出してきた結果、さらなる苦境に直面します。藁にも縋る思いで参加したアメリカにある家具店への視察ツアーで、昭雄氏は「ニトリ」の経営を行ううえで大事な「芯」を見つけることになりました。
「日本人の住まいを、アメリカのように豊かなものにしたい」……当時のアメリカでは、日本の3分の1の価格で色やスタイルが統一された素敵な家具がたくさん売られており、それを見た昭雄氏はとても感動したと語っています。
その感動は「ロマン(志)」となり「ニトリ」の事業の原点となりました。今でも「ニトリ」は一途にその志を貫いているのです。
ちなみに、この「ロマン」は、ニトリのグループ理念にも使われている言葉ですね。
「ニトリ」の沿革
1967年 | 「似鳥家具店」を創業 |
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1972年 | 「似鳥家具卸センター株式会社」を設立 |
1978年 | 社名を「株式会社ニトリ家具」に変更 |
1986年 | 社名を「株式会社ニトリ」に変更し、店名を「ホームファニシング ニトリ」に変更 |
1993年 | 本州第1号店「勝田店」を茨城県ひたちなか市にオープン |
1998年 | 店名を「ホームファッション ニトリ」に変更 |
2000年 | 「株式会社マルミツ(現 株式会社ニトリファニチャー)」完全子会社化 |
2002年 | 東京証券取引所一部に株式を上場 |
2003年 | 100店舗達成 |
2006年 | 東京本部を新設(東京都北区:赤羽) |
2009年 | 200店舗達成 |
2010年 | 持株会社体制へ移行、販売部門を「株式会社ニトリ」、物流部門を「株式会社ホームロジスティクス」に分社化し、社名を「株式会社ニトリホールディングス」に変更 |
2011年 | 「株式会社ニトリファシリティ」設立 「株式会社ホーム・デコ」子会社化 |
2013年 | 300店舗達成 |
2015年 | 400店舗達成 |
2018年 | タイネゴロ社(現サイアムニトリ)を完全子会社化 500店舗達成 |
2020年 | 600店舗達成 |
2021年 | 700店舗達成 株式会社島忠を完全子会社化 |
(出典:ニトリ公式企業サイト)
北海道で誕生した株式会社ニトリが本州進出を果たしたのは1993年のこと。それから30年、今や「ニトリ」は全都道府県進出を果たし、海外へと舞台を進めています。
2023年現在、ニトリグループ全体の店舗数は909店舗にも登りました。物流の事業所は11拠点。従業員数は37,329人と、文句なしの大企業と言えます。
似鳥昭雄の人物像
似鳥昭雄氏は、子供の頃から勉強ができなかったり、じっとしていることが苦手だったり、軽い対人恐怖症だったりと苦手なことがたくさんありました。それらは後に発達障害が原因の一部であることがわかっていますが、それが確定したのは70代になってから。それまでは原因がわからない苦労で大変だった事も多かったと思います。
しかし、彼がよくインタビューで語っている「苦手を克服しない」という生き方は同じような理由で悩んでいる人にとって参考になると感じます。
「苦手を克服しない生き方」というと難しく捉えられがちですが、似鳥昭雄氏は、例えばニトリ創業当時は苦手な接客を奥さんにお願いし、自分は良い商品を安く仕入れる事に専念していました。よく落としてしまう財布は、常に洋服に紐で繋げているのだとか。
似鳥昭雄氏は、そういった短所を克服するよりも、自分の持っている長所を伸ばしていくことにリソースを割いているそうです。「物事を突き詰める」「感受性が強い」など発達障害と言われる人々が持つ良い面を活かし、苦手な所を周りに助けてもらいながら仕事に取り組んでいるのですね。
まとめ
株式会社ニトリホールディングスの会長、似鳥昭雄氏の経歴や人物像、ニトリの沿革などについてご紹介しました。
昭雄氏は自身の発達障害を世間に公表した数少ない経営者とも知られていますが、苦手なことがたくさんある自分が、それでも自身の長所を伸ばして成功者となることで同じ境遇に悩んでいる人たちに希望を与えたいという想いからなのだそうです。
また、現在昭雄氏は同じような発達障害を抱えた子供のために参加型のイベントなどを開催したり、「ユニークな子どもに対する教育研究活動の支援」を目的とした寄附を行ったりするなど、社会貢献活動も積極的に行っているところもすばらしいですね。